〔 被災地へ—北川県城— 〕
約束の日、吉椿さんが小さなワンボックスとドライバーをチャーターしてくれたので、それに乗り朝8時にシムズを出発した。
バナナしか食べていなかった僕に気を使ってくれて、途中街角の小さな小龍包屋さんに立ち寄ってくれた。
小さな小龍包、4つで約28円。うまい。
それから高速にのり、被災地へ向かう。
高速にのると、100メートル先の視界がぼんやりしていた。
元々成都は年中モヤモヤしていて、僕は砂埃のせいだとばかり思っていたが、それは成都が盆地だから雲がたまってしまうせいだと吉椿さんが教えてくれた。
正直、中国は砂埃が舞ってモヤモヤしていると言う先入観のせいで、成都も然りだと勝手に思っていたが、そういう思い込みが偏見につながる事もあるのかもしれないと思った。
2時間ほど走ると、周りは山々に囲まれ始め、町と言うより、村や集落の様な家々がぽつぽつ見られるようになってきた。
途中、渋滞に出くわすと吉椿さんが「たぶんVIPが入っているんだ」と教えてくれた。
震災が起きてから、中国のお偉いさんが出入りするたび、一般車両は規制をかけられることがたびたびあるらしい。
しばらくすると、何台もの真っ黒い車が仰々しく僕らがやってきた方向へ下って行った。
そこから30分ほどでようやく目的地に着いた。
北川県城(ほくせんけんじょう)。
四川大地震で最も甚大な被害を受けた場所の一つ。
周りはやはり山々に囲まれていて、そのふもとに新しく建てられた集合住宅のような施設がぽつぽつと見えた。
少し歩くと現地で復興作業をしていると思われる人たちがいる。
道路の脇にはお土産屋さんが並んでいた。
被災地でお土産屋さん?と最初は少し驚いたが、今では中国全土、海外からも現地を見に来る方が多いようで、地震のせいで職を無くした人が少しでも稼ぎを得るために出店しているそうだ。
実際、被災地の現場には赤い入り口から下って行かなくてはならないのだが、関係者以外は立ち入り禁止になっているので、僕らはその脇にある坂を上って、被災地全体を見渡せる丘へと歩いた。
登るにつれて少しづつ全体の様子が見えてきた。
丘のてっぺんまではほんの200メートルくらい。
近づくにつれて向こう側に見える北川県城が見えてくる。
てっぺんに着くと、いくつかのお土産屋さん、亡くなった方達へあげるためのお線香と、紙のお金が売られていた。
中国では、亡くなった方達があの世へ行っても困らないために模造紙のような紙で出来たお金をお線香と一緒に燃やす風習があるのだ。
僕たちはまず、お線香と紙のお金を買い、震災で亡くなられた方々へ手向けた。
その後、吉椿さんの知り合いで、被災後から丘の上で震災のDVDや、震災の様子をまとめた写真集などを販売している男性を紹介していただいた。
彼は震災後、職を無くし、ずっとここで見学者相手にDVDなどの販売をしていると言う。
彼らを始め、震災で家も職も失った人は、お土産やそういった記念品を売り、なんとか生計を立てているが、新たに住むための居住地を購入しなければならなかったため、借金ばかりが重くのしかかっているそうだ。
その資金も国が少しは負担してくれるそうだが、それで楽になるかと言ったらまったく十分な額ではないと言う事だ。
僕は、今回の展示会で「被災者へプレゼント」を選んでくださった出展者の作品を彼に見せ、その中の一つをプレゼントした。
丘の向こうには壊滅状態のままの北川県城が見える。5月に震災が起き、半年後、不安定な地盤に大雨が降り続け、さらに土石流に飲み込まれた町は「北川地震記念館」としてそのまま保存されると言う事だ。
そこには未だに5000人 の被災者が眠っていると言う。
(Vol.5へ続く。)